「聞かせてください、溝手さん」-緊急インタビュー-

「地方の心、広島の心を、国政に」は国会議員に初当選した時から現在に至るまで、一貫している溝手顕正参議院議員のコンセプトだ。

すっかり日焼けした顔はこの信条を証明するがごとくに金帰月來で県内各地を飛び回り地域の要望に耳を傾けている。

また東京にあっては上京する地元の方の声に耳を傾け、関係方面へ共に足を運び実現へ行動を起こしてきた。

行動派溝手議員の目にした地域の課題などを聞いてみた。

インタビューに答える溝手議員

-涙ぐむ被災者に手差し伸べる-

〈なんといっても昨夏の西日本豪雨禍により甚大な被害を受けた広島県では死者行方不明114人、南部では土石流など5000ヵ所を越し住宅被害4万棟にも及んだが…〉

私は23人の死者を出した広島市をはじめ安芸郡熊野、坂町、三原市、東広島市、竹原などに自民党国会議員団として足を踏み入れました。
現地は、まるでミキサー車の中にいるような破砕状況だった。
惨状のなか茫然とたたずむ人のなかから泥にまみれた手を差し伸べられ「議員さん、頼みますよ」と涙ぐまれ私は手を握りしめられました。
その男性の手から伝わった不安感、切実感、絶望感。
この度の災害の甚大さを改めて痛感した瞬間であり、衝撃でした。
私は相手の目を見つめ返し「必ず、対応します。それまで頑張って下さい。」と確約しました。
今も忘れることはできません。

甚大な被害に絶句した視察団
災害の視察で(中本県議会議長と)
新潟地震時、急行した溝手大臣
防災大臣時の経験が礎に

-災害に強い水道施設を-

〈復興の状況を教えて下さい〉

広島県は創造的復興による新たな広島県づくりと銘打って復旧・復興プランを立てています。
広島県は3年以内の復興を目標にしていますが人手不足と東京五輪のしわ寄せがきて思うように運んでいないのが現実です。
解決のため行政と共にあの手この手と知恵を絞っているところです。

また、「創造的復興による新たな広島県づくり」を命題に県が取り組んでいます。
水道施設を例にとれば災害・事故に強い安定的供給のできる水の供給体制の構築が急がれますし、これにも全力投球しています。
広島県でも水が溢れて大変な被害があった三原市の沼田川に例をとると、島しょ部をはじめ愛媛県へ供給している取水源がやられている。
私が三原市長時代完成したパイプラインですし、復興復旧には自然と力が入ります。

東広島市長から要望
東広島市への災害視察
広島市経済界の要望書を
東京での合同説明会

-インフラ整備に力-

〈そのほか災害に絡み交通、医療など取り組むべき教訓が山積しているようですね〉

昨夏の豪雨禍でJRの鉄道、国道が被害を受け交通が遮断されました。
また人命を預かる災害拠点医療機関も甚大な被害を受けました。
これらの医療機関の水確保も問題です。なぜなら3日分の受水しか確保できないのです。
県も強じんなインフラ施策を打ち出しており私も県と共に各省庁に働きかけ、現在も懸命に動いている状況です。

湯崎知事との強固な信頼関係
松井広島市長からの要望書
東広島市への災害視察

-過疎逆手にグローバル教育に情熱-

〈全国的な人口減、過疎化など悩むところで広島県も例外ではない。とりわけ教育問題もクローズアップしています〉

地方創生の一環として叡智学園の誕生は注目に値すると思っています。
知事部局と県教委が一体となり進めたもので評価したいです。

この話を聞いたとき、これからはグローバルな人材養成が念頭にあったから県と共に実現に力を入れてきました。
過疎化対応の一役も担っています。
今春、三次市に中高一貫校ができましたが、これからは過疎を逆手にとって公立と私立校の合併なども現れるでしょう。
私は教育県広島の創生には最大限県と共にけん引していく覚悟です。

未来の日本を担う若手議員と
自民党本部前で開催された復興フェア

「終わりに」
7月の参院選挙目前にした緊急取材に、過密スケジュールをぬって実現したインタビューだった。
政治家に珍しく、自分が手がけた仕事自慢や上手なパフォーマンスが苦手な溝手議員。そんな溝手顕正議員を少々追記したい。

溝手議員の政界デビューは激戦を制し三原市長に就いた1987年。
当時は、三原と言えば渋滞、渋滞といえば三原と言われた。
なぜなら三原を通過するのに1時間半から2時間を要するといった具合で、国道2号線の渋滞は社会的問題としてマスコミでも再三とりあげられたほどだった。

就任後、三原バイパスを完成させ「スピードの溝手」と市民の間から愛称が付けられた若くてやり手の、敏腕市長だった。
相前後して県立広島大学(県立福祉大学)の誘致などの実績が故宮澤喜一元総理の目に留まった。
元総理からの強い要請で参院補欠選挙に出馬し、国会議員に転身。
順調にキャリアという階段を登り続け、第一次安倍内閣では国家公安委員長、防災担当大臣で入閣した。
その後政権交代が起こり、下野という冬の時代も自民党一筋で党を支えてきた。その功績が評価され、参議院自民党幹事長、参議院自民党議員会長など、仲間の人望と実力が伴わなくてはならない要職を歴任し、陰に日向に、国政を舞台に活躍してきた。

2019年の参院選は、溝手顕正にとって最後の挑戦であり、国会議員として最後の仕事を全力で取り組むと語ってくれた。
その意欲を語った視線は、激戦の三原市長選挙を制したあの時と一つも変わることのない信念の男の目だった。

筆者:M.H