謝 辞

この度の各地での台風による豪雨災害や地震による災害でお亡くなりになられた方々に心より哀悼の意を表しますとともに被災された皆様方に心よりお見舞い申し上げます。

また、災害復旧・復興にご尽力いただいている皆様方に感謝を申し上げます。そのような中、誠に恐縮ですが、お許しをいただき一言お礼を申し上げます。

ただいま、院議をもちまして在職二十五年の永年在職議員として栄えある表彰を敬愛する柳本卓治先生とともに賜りますことを大変光栄に存じ、心からお礼申し上げます。

また、橋本聖子先生より丁重なるご祝辞をいただき、誠にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。

私が参議院議員に初当選いたしましたのは、平成五年十二月参議院広島県選挙区の補欠選挙です。当時は政権交代によるまさに激動の時代を迎えており、細川内閣が誕生しました。

自民党は結党以来、初めての野党となり、その自民党が最初に直面した国政選挙が私の選挙でした。暗闇の中から最初の第一歩を踏み出せたこの一勝の価値をバネにこれまで邁進して参りました。

私の座右の銘は「人間万事塞翁が馬」、中国の格言で人生の禍福は計り知れない。と言う意味とされていますが、私自身としては色々問題はあっても、現実を厳しく受け止め、くよくよせず努力することが大切だ。という意味に解釈しています。

政治の世界に入る前、造船会社社長時代に円高と未曾有の造船不況にみまわれ大変な苦労をいたしました。不況の中においても地域の安定や従業員3000人の雇用を守るためにあらゆる手段を講じることが私に与えられた使命であり、会社経営をより強力な営業力・資金力を有する企業に譲渡し、自らは裸一貫で新しい道を切り拓くという、まさに苦渋の選択をおこなったのであります。

そしてその後二年間は確たる目標を失い、なすこともなく日々を過ごしておりましたが最終的には今まで自分が育ち学んだ場所であり、子供たちが成長してきた郷土への思いがわきました。

歴史・地形・土地柄、その他の要因により交通基盤を中心とした都市基盤が大きく立ち遅れていると感じ、政治の流れを変える必要性を強く思い、大変な激戦の中ではありましたが四十五歳のとき、幸運にも三原市長選挙に勝利することができ、地方政治の道へ入りました。

この時、最も力を入れたのは、計画を実行に移し執行していくための人材を育てること、地方自治を取り戻すと言うことを実践していきました。

その後、二期目なかばに冒頭申し上げました参議院広島選挙区補欠選挙に出馬し、地方の心・広島の心を国政に届け、安心安全の国づくりをすすめる志をもって、参議院議員の道へとつながりました。

参議院議員での経歴は橋本聖子先生にご紹介いただきました。

その都度その責任の重さを感じながら、媚びず、屈せず、飾らずの自分のスタイルで実直に努めて参りました。

政治の世界に入ってからは、先輩・同僚・政策集団の支え等、多くのご支援をいただいて、なんとか二十五年を迎えることができ、今こうして表彰をいただくため、この壇上に立っておりますことに面映ゆい思いもありますが、色々な面で運が良かったと思っております。

これまで応援していただいている郷土広島の皆様、後援会の皆様、そして家族にも感謝いたします。

今後も皆様方の変わらぬご指導ご鞭撻をお願い申し上げまして、お礼のご挨拶とさせていただきます。

本日は誠にありがとうございました。

平成三十年十月三十日

参議院議員 溝 手 顕 正